終わりこそ始めなれ
演劇が、終わりました。
芸術に「完璧」は存在しない、と誰かが言っていた。
けれどなんだかんだ言って本番で最高のものを持ってくる役者の魂に、同じ舞台上にいながらしにてわたしはいつも胸をうたれる。
「このままでは、幕が降りない」
10日前まで、芝居はそんな状態で、芝居は演出のものだった。ラストにスウィングダンスを踊ることになり、ようやくみんなが自分の表情で歩み始めた。
茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」からはじまり、沖縄の歌人桃原邑子、広島の詩人栗原貞子、「大陸の花嫁」の経験をもつ井筒紀久枝さんをモデルにし同じ「ハナ」という名前をもつ老女の回想を中心に構成した朗読劇。
戦争を経験したこともなければ、母になったこともない、10〜20代のわたしたち。同じ中学の演劇部出身といえど高校生、大学生、大学院生、社会人とふだんはそれぞれの生活があり、その中に突然ふってわいた「戦争の芝居」。
あまりにも暗くて惨い台詞と実生活のギャップ、そして未経験という負荷がなによりも重かった。
逃げようと思えばいつでも逃げられたのに、けれど誰も逃げようとしなかった。
観客席には井筒さんの娘さんをはじめ、わたしたちより一世代も二世代も上の層がこちらを向いて座っている。
震える足を大きく踏みだした。
わたしたちは、単なる反戦を訴えたいのではなかった。
生まれることのすごさと、死んでいくことのその先をありったけの想像力を働かせて声にのせた。
短歌や、俳句の「文字」を表現することは、一筋縄ではいかなかった。感情を込めれば込めるほど、空回りしたり、嘘くさくなったりする。
演劇をやっていてこれほど自分が無力だと感じたことはなかった。
逆に、老女が突然若返り、ダンスを踊りだすシーンでは自分の若さにこれほど自信を持ったことはなかった。
幕がおりたあと、この芝居を25歳でやったことに、その運命に、感謝しました。
みにきてくださったみなさん、本当にありがとう。
明日から、普通のOLに戻ります(都はるみ風)!