青年団「月の岬」

受付で料金を払うときにふと「学生・シニア(65歳以上)2000円」というのが目に入った。

「先生、何歳ですか?まだ65じゃなかったですよね?」
「68歳や」

15年という年月をそこで実感した。

1997年、演劇少女だった頃。アトリエ劇研でみた「月の岬」という芝居は、感じたことのないほど哀しくて色気があるオトナの物語で、確か私は、公開稽古にも参加し、平田オリザという人はこんなにも細かい演出をするのかと驚愕し、すべての心を持っていかれた覚えがある。


再再演のチラシを発見し、すぐ「先生」に電話をした。

先生は中学時代の演劇部の顧問で、12歳からの「オン」の私を知っている人。
「月の岬」も先生に勧められ、一緒に観に行ったのだ。
演劇がすべてだった頃の、振り返るのも恥ずかしいような一面も見られているので、半分親のようだと勝手に思っている。社会人になってからも芝居情報を交換し、年に数回会う今は友人のような存在。



下手からスッと登場した割烹着姿の内田淳子という女優さんの、美しさと儚さに二人して息をのんだ。
「ああ、こうだった」




舞台は長崎の離島。
超閉鎖的なコミュニティの中でのある家族の物語。

弟の結婚式の朝から物語ははじまる。
美人でどこか影のある独身の姉、ちゃっかり者の妹、弟の教え子と、新妻、姉の元恋人らしき男。

長崎弁で繰り広げられる何気ない日常会話の端々から、浮き上がる「関係性」は実にいびつで、大切なことをはぐらかしたり、タイミングを逃したりするうちに、崩壊の一途を辿る。



どこで間違えたのか、何がいけなかったのかと思い巡らせても、わからない。
すでに私たちは観客ではなく、目撃者になっている。

あーこれだこれだ、という懐かしい感覚と、目に見えないエロス、こんなすごかったっけかと感心し、あっという間の2時間だった。

公演後、内田淳子によるリーディング公演、太宰治の「皮膚と心」も秀逸だった。

「女というものは、誰でも泥沼を持っているものよ」

というセリフが、本編の女たちをも物語っているようで、ぞくぞくした。

女であっても、女というものが時に恐くなることがある。自分ですら。
ふたをして、なかったことのようにし続けることで不幸になるとも限らず混乱し、だからなおのこと、芝居やなんかの虚構の世界に答えを求めてしまうのかもしれず。

観劇後、ともに女である先生と、伊丹駅前のカフェで、私だけビールを頼んでしまった。