島崎今日子@ナナゲイ

先週、第七芸術劇場というディープな映画館に
島崎今日子の講演を聞きに行った。

アエラの「現代の肖像」のインタビュアーや
朝日新聞のテレビ時評「キュー」などを担当している人。

十三という土地の持つ猥雑さと、業界人とか、何やら婦人運動にせいを出していそうな目だけがらんらんと光っている女性たちの中で「慣れっこ」な雰囲気を出せばよいのか、存在を消せばよいのかよくわからずに、まごつきながら着席。

聞き手は朝日新聞の阿久沢悦子記者。

二人はいわゆる「フェミニスト」らしく、女、女女、女、女と連発していた。
その辺はあまり興味がないのでスルー。
(というか、挙げられたすべての題材が取り立てて騒ぐほどのことではないと思った私は、筋金入りのフェミニストなのかもしれない)

ものすんごいためになる取材スタイルの話がいろいろ聞けたのだが
一週間たっても心に残っている言葉は、本筋とはあまりカンケーない

「声には、育ち方や環境が表れる」。

阿久沢記者は、少し甘えたトーンのフェミニンな声。
本人は、記者という職業柄なめられるので嫌でたまらないと言った後の発言だった。

私には「声と話し方が許せない」人がいる。
ただ、それは本人には何の瑕疵もないので
その人を好きになれない自分の小ささをこれまで呪ってきたが、
それを聞いて、やはり私はその人を形作るおおもとが嫌いなのだから嫌いなのだと確信した。
で、心がちょっと軽くなった。

目に入るすべての情報に意味を見いだす、
記者としてというより人として、そういう癖をつけなきゃなーと思った。