車内トラブルから考える多事争論

いつものごとくJRが遅れていた。

前を走る列車の車内でトラブルがあったからだという。車内トラブルってなんやろう、痴漢かな、ケンカかな、酔っ払いかな。と思ってたら、私の乗っている車輌の中でもケンカが勃発した。

「なんじゃ、やるんか、ワレェ」と、まるでマンガのような展開。

みんな自分に危害が及ぶのは避けたいが興味は深々。混んでいてよく見えないが、声だけは威勢がいい。

結局、次の停車駅で誰かが通報し、電車は運転を見合わせ。まるで学級会。警察が来ても、肩書だけではケンカは止まらないくらい、一人はヒートアップ。なんかが外れたみたいに怒り狂っている。数分後、当事者たちを置き去りにして列車は発車。

ちらっと相手が見えた。相手は普通のおじさんで、なんとなく、父親の背格好に似ていた気がして途端に悲しいようないたたまれないような気持ちになった。それから、私は日本の犯罪について思いを馳せ、例えば親でなく、自分の子供が犯罪に巻き込まれて被害者になったならもっと深い悲しみと怒りだろうと思い、なんとなく、はじめて子供関連の事件の深刻さが皮膚にしみる。さらに、日本の教育について思いを馳せ、日本の平和に思いを馳せ、生態系へと思いを馳せ、「電子マネーは本当にエコか?」と思ったところで京都駅に着いた。

帰ったら、父親が彼の部屋用にと母親に購入してもらった15型の液晶テレビが今日届いたらしく、「別にいらんで」と言っていた割にとても満足そうにチャンネルをいじくりまわしていて、なんだかそれはとても、平和なようでいて、このままでは嫁に行けない、そんな脅威すら感じさせる、一日の終わりでありました。筑紫。