ミラクル正倉院

先日、友人と正倉院展にいった。
今年の正倉院展は、ポスターのデザインがいいのでそれにつられてる人は多いんではないかと思う。
電通はんやろか。

26年間、隣の県に住んでいるにも関わらず、奈良に出向くようになったのはつい最近のこと。

知らなかったのだが正倉院展というのは、毎年違うものが出ているらしい。
同じ宝物は早くても10年に1回くらいしか公開されないんだとさ。
入場するだけで30分くらい並んだ。
奈良に住んでいるくせに、はじめて行く友人も、ことの重大さにようやく気づいたらしく二人で緊張していろんな古いものをみてまわった。館内は8月のレジャープールなみの混雑ぶりで、レジャープールとの違いは、ぶつかる人々の年齢がおしなべて自分の倍以上とゆうところか。

めちゃめちゃ古いもの、というのはどうしてそれだけで堂々と輝いて見えるのだろう。
「ただのふろしきやん」
「ただの皿やん」
「ただの馬鞍やん」
とつっこみたくなるのだが、なんか、「どしー」っとしててこっちは「ははあー」という感じ。
聖武天皇が着てたらしいで」
「ほんまかいな」
小さなボロ布を、ひとめ見ようとおしあいへしあい。ガラスは人々の鼻脂や、おでこ脂でところどころ鈍い色をしている。

気が遠くなるほど丁寧に書かれた文字のえんえんとつながる巻物をみて、わたしはかなわん、と思った。

今日、そのことを取引先のおじさんに話していると
「わしも行った。おもろなかったから15分くらいで出て来た」
「あの布はみました?」
「ああ、布だけはみたけどな、なんやねんこれーっ破れたあるやんけーって感じやったな」
という感想だった。

おじさんの感想は正しい。そして素直。
ただ、想像力が欠けているのでちょっと可哀想だ。
わたしは、あの布がものすごいスピードできれいによみがえって、ぼーさんが
「これ、この辺でいいっすかね?」
「いや、もうちょい右、右、いや、そっちは左やろ」
とか言っててんやわんやした寺の境内の様子がありありと目の前に浮かんで、次の瞬間ぼーずがこけたりして笑っているのだ。

おじさんは、
「わしは・・・やっぱり仏像のほうがええ」
と言った。
そうなのか。