青春の門

昨日、中学の演劇部の同窓会があった。これはわたしの原点。

うちの中学はなんだかとてもおおざっぱで、だけど大真面目でそのバランスが可笑しかった。
覚えていることと言えば、はじめての英語の授業。テンガロンハットをかぶった先生がいきなりあらわれアメリカでは「I'm hungry」が言えたら生きていけます!さんはい、と言って何度もハングリー!ハングリー!言わされ訛ったイギリス英語をたたきこまれたことや、毎朝毎朝、とっかえひっかえ賛美歌を大合唱していたこと。学園祭ではこれでもかというほど全24クラスが延々と一作ずつ演劇をしてた(教職員もする)ことや、体育祭の日に女の先生がヒールをはいていたこと、(先生はゲスト。)百人一首を全部かかせる白紙一枚しか配られないテストとか、何らかの楽器を演奏する発表会があったりした。それは歌でもいいし、たて笛でもバイオリンでもよかった。歌は、楽器か?

わたしは小学校からとても憧れていた先輩が演劇部だったため、人前で演技するなんて考えられない、恥ずかしいと思っていたけれど、どうしてもその先輩と近くにいたかったから、演劇部を選んだ。
そして半年後には
「どうして自分が主役じゃないのか」
と泣き叫んでいたというから、恐ろしい。本人はそうでもないのだが、まわりがとても鮮明に記憶しているから困る。
あげくのはてに、演劇とは10年以上つきあうはめになり、結局誰よりも没頭してしまった。

先輩たちは美人なのだが、ボケもツッコミも健在で、脅威のマシンガントークにさすがのわたしもたじたじだった。

そんな、歴代の「姫」たちを40年間見守り続けてきた顧問の先生。彼女には、自分の母親にすら見せていない顔や気持ちをずいぶんと見抜かれてきた気がしている。

「何もかもは自分の思い通りにはならない中でどう折り合いをつけていくのか、そのコツが最近ようやくわかってきた気がする」と昨日先生は言った。中学時代のわたしたちといったら本当に反抗期で、ちっとも言うことを聞かず、自分たちが正しい、とばかり信じきっていた。彼女はそれ以上のことは言わず、結局はわたしたちのやりたいようにさせてくれて、最後には一緒に泣いたり笑ったりしてくれた。そういうふうに感じてらしたんだな、と思うと改めて教育、というもののすごさを知った。

いつまでたっても先生は、先生で、そしてこれからも人生の先生なのだにゃん。