新興住宅地の夜

ご近所の谷口さん(仮)が引っ越してから数週間たつ。
谷口さんのおうちはバス停からすぐのところで、公道まではみだすほど花が咲き乱れていて、毎朝毎朝おばちゃんはきちんとお化粧をし、にこにこしながらその一つ一つに丁寧にじょうろで水をやり、夕方はほうきで掃いたりしていた。


「おかえり」
鍵っ子だったわたしにとって誰かが言ってくれるこの言葉は、とっても大事だった。でもわたしは、照れ屋だったので、もごもご「ただいま」と声にならないような声で返事をしていた。通学にも、通勤にも必ずこの道を通るのでつまりおばちゃんは、わたしに20年間声をかけ続けてくれたことになる。バス停まで走っていたら「いってらっしゃい」というおばちゃんの声が背中から追いかけてくる。「バス、間に合わなかったの?」とか、ほんといちいち声をかけてくれてわたしはその度に照れ癖がでて「はあ」とか「ああ」とか曖昧な言葉を返していた。


その谷口さんが、急にいなくなった。その日、わたしは谷口さんをみなかった。母によると大きなゴミ袋の中に鉢植えを逆さにして土ごと花ごと次々と捨てていたのだそうだ。「家を建て替えるのかな」とも思ったがなんとなく声をかけそびれて母はその場を離れた。


3日後。不動産屋がきて「売家」ののぼりをたてていった。そしてはじめて、周りの人たちは谷口さんがいなくなったことを知った。表札の字が消されて、わたしはその白いペンキの乱暴な塗り方になんとなく嫌悪感を感じた。谷口さんは、誰にも挨拶することなく、どこかへ行ってしまった。出窓のカーテンもかけっぱなしで。

うちの町内はそれほど親しい近所づきあいがある方ではないけど、何も言わないで長い旅行にいくとか、ましてや引っ越すなんてありえない。とくに谷口さんが黙っていなくなったこの事件は静かな町内で波紋をよんだ。いろんな噂が流れて、わたしはそのどれにも胸をいためた。


そして今日、うっそうと茂っていた谷口さん家の草木がとうとうぜんぶ取り払われた。がらんどうになった、白い家は頼りなく闇に光っている。目印を失って、バス停もしょんぼりしている。あるはずのものがないことがこんなにも落ち着かなくさせるなんて。わたしはなんだかとても悲しい。せめて一度でもおばちゃんと話せばよかったかなあ。「花、いつもきれいですね」とか。もごもごとではなく、はっきりと「行ってきます!」とか言ってたらよかったなあ。


地元のことや人を、こんなに考えたのは、初めて。年寄りばかりの新興住宅地の夜はふけていきまする。