紀子の食卓と私の実際

取材がらみで「紀子の食卓」のDVDをみた。確か2年くらい前の映画。

友人に似てる役者がいるなーと思ったら、かつてそいつが好きだと言っていた光石研その人だった。
自分に似ている風貌の人を好きになるもんだろか、普通…。私は中田が嫌い(笑)。

にしてもすごかった。どれくらいすごいかとゆうと水なしでインディアンカレーを食べきるほどかな。

レンタル家族とか自殺サークルを題材にしてて、家出した娘たちが、実の父親のもとへ、彼の娘役として派遣される。

家族とは実にもろく、過剰な演技が呼び起こす快感は、実際よりも心地よく、やさしく響く。

では、「実際」とは一体何か。決められた役割しか演じることのない「あちら側」の人間たちは、死さえも選ばない。
「そういう意味では、現実世界の方がよっぽど自殺サークルですよ」あちら側の言うことは、一見、的を射ているように思う。

けれど彼らは彼らの世界の秩序を保つために、必死で躍起。それはあるものを見ないようにするため。
あるものとは、過去であり、それこそは実際にほかならない。

この悲しく単純な循環を、巧みに描いたこの作品は実に演劇的で、私を興奮させた。

二度と見たくないと思った。寝られなくなって、「転々」を見る。
これは貧乏なオダギリジョーが見知らぬおっさんと東京を散歩する話。

ああ平和だ平和だ。そうこなくっちゃ。